大山崎にある離宮八幡宮に行ってきました。
以前、このあたりを車で通ったとき離宮八幡宮の
離宮
の2文字が目に入りずっと気になっていたんです。
そもそも離宮といえば、皇族と関係があることは何となくわかるんだけど、でもそれ以外のことが全くわからない。
みやび的な? くらいしか想像できない······。
実際はどうなんでしょうか。
さっそく行って確認してみたいと思います!
離宮八幡宮の場所とアクセス(行き方)
【行き方】
■JR山崎駅の場合は駅を出て真っ直ぐ進むと、すぐ右側にあります。徒歩1分くらい。
■阪急大山崎駅の場合通りに出て左へ。少し歩くとすぐ右側にあります。こちらも徒歩1分くらい。
離宮八幡宮へ!見所や歴史などを紹介

東門からおじゃまします。
ちなみに正面入口は西国街道側に面しています。

参道には沢山の灯籠が並んでいます。
桜の紅葉もいい感じにそまっていますね。
でも境内にはあまり紅葉の木がありませんでした。(※撮影時期は秋です)

壁に目をやると格子窓と小ぶりの竹が見えました。京都っぽい!

外から見るとこんな感じ。格子窓がズラーっと並んでいます。

少しすすむと何やら不思議な形をした石?岩?を発見!

説明板によると(簡略しました)
塔心礎(とうしんそ。扇状石・かしき石)
塔心礎とは五重塔などの木造の塔で、中央に立つ心柱を支える礎石のこと。石の中央にはお釈迦様の骨を納める舎利孔が儲けられています。
形式から製作年代は奈良時代以前と考えられています。心礎が使われた寺院として
・七世紀の山崎廃寺
・八世紀の山崎院
・九世紀中葉の相応寺
が想定されています。その後この塔心礎は手水鉢として改良されたようです。
大山崎町の指定文化財らしいです。
離宮八幡宮は元々、石清水八幡宮と呼ばれていた?

本殿前の鳥居

離宮八幡宮の拝殿。

拝殿前にある灯籠。
ん? あれれ?
灯籠に石清水八幡宮の文字が!?
これはいったい?

859年、清和天皇は夢見で神様からお告げをうけました。
内容は、宇佐八幡宮(大分)の八幡神を京都に遷座し、国家の平和を祈りなさい。
というもの。
天皇はさっそく、空海の弟子である行教という僧侶を宇佐八幡宮(大分)へ向かわせました。
その後、宇佐八幡宮から京都へ帰ってきた行教は、山崎の地で光輝く霊光を見ました。
不思議に思い掘り返してみると、石の隙間から美しい清水がわきだしてきました。
この事を清和天皇に申し上げたところ、大変およろこびになり勅命で石清水八幡宮を建立し、国家の平和を祈りました。
なるほど。これで灯籠に書かれる石清水八幡宮の理由がわかりました。
でも、ここで一つの疑問が······。
なぜ今は離宮八幡宮と呼び、石清水八幡宮と呼ばれていないのか?
実は······
石清水八幡宮という名前をめぐり問題が勃発していた!

江戸時代、分霊によりすでに創建されていた石清水八幡宮(八幡市)と、ここ石清水八幡宮(山崎市)とのあいだに問題がおきていました。
問題の内容は
石清水という名前の使用や地位をめぐる争い。
何故そうなったのかは分かりませんが、権力的な背景があったのかもしれませんね。大人の事情ってやつ?
結果、山崎側が敗訴。これにより【石清水】の使用が禁止となりました。
その後、なぜ離宮八幡宮という名前になったのか?
石清水という三文字が使えなくなってしまった山崎の八幡宮。
その後、離宮八幡宮という名称になったのですが、なぜ【離宮】という2文字を使うようになったのでしょう?
元々この地は、嵯峨天皇の河陽宮(かやのみや)という離宮があった場所だったそうです。
その跡地に八幡宮を造営したことから離宮という2文字をつけたとか。
ほほぅ、なるほど。これで冒頭で書いた疑問
離宮=皇族
という謎がとけましたね!
写真を撮り忘れたのですが、 鳥居の横には河陽宮故址の石碑がたっていますよ。
エゴマ油発祥の地!?離宮八幡宮とエゴマとの関係

ところで離宮八幡宮といえば油と深い関係があります。

社伝によると平安時代、神勅により当宮の神官が「長木」という油しぼり道具を作ったといわれます。長さ約6メートルの八角形の柱を3本組み合わせ、油をしぼるための部品を挟みこみ、縄で締め上げて荏胡麻(エゴマ:シソ科)の実を押しつぶして油を作りました。
これによって神前に捧げる灯明の原料である荏胡麻油を大量にしぼることができるようになりました。
中世になると当宮の油神人は「荏胡麻油」の製造・販売の独占権を認められます。山崎の油売りたちは日本中に材料のエゴマの買い付けに出向き、京の都に油を売りに行きました。
離宮八幡宮は「本邦製油発祥の地」として日本中の油商から崇敬され、今に至っています。
【参照】離宮八幡宮の説明板

見えにくいですが、本殿脇には油の一斗缶が沢山奉納されていました。
そう言えば離宮八幡宮には油断大敵と書かれた御守りが売られています。製油発祥の地だけに。
ふと嫁さんが油断大敵の御守りってどんな効果があるんだろ?って聞いてきたので
一瞬『なんだろ?』って考えました。
気を付けること?気を引きしめること?
あ!もしかしたら注意力がアップ!
みたいな?
まあ、釈然としませんがそんな感じで落ち着きました。宮司さんに聞けばいい話なんですけどね(^-^;
離宮八幡宮内ある無数にならぶ不思議な石がミステリアスすぎる件

拝殿に向かって左側の突き当たりに、不思議な空間が広がっています。
ボコボコと並ぶ無数の石。これらは一体?
実はこれらの石は寛永時代にたっていた宝塔の礎石なんだそうです。
それにしても不思議な光景。
はじめ見たときミステリースポット?パワースポット的な思考でこの石たちを眺めていましたが、礎石なんですね。
知らない子供が、石から石へ飛び移り遊んでいましたw
離宮八幡宮と菅原道真と関係がある!?

礎石の奥に社があり、その横に大きな石があります。その石には名前がありこう書かれています。
菅原道真腰掛けの石
え!? あの菅原道真がすわった石? 本当に?
ということで、さっそく調べてみると
あるとき菅原道真の政敵、藤原時平の謀略にはまり、太宰府へ左遷となりました。
大宰府にむかう道中、道真は西国街道の脇にあった石にすわり和歌を詠んだそうです。
【分類】和歌
「君が住む宿の梢(こずゑ)をゆくゆくと隠るるまでもかへり見しはや」【出典】大鏡 時平・菅原道真(すがはらのみちざね)
[訳] あなたが住んでいる家の木々の梢を、都を離れ西へ向かって遠ざかって行きながら、隠れて見えなくなるまで振り返って見たことだ。【鑑賞】
右大臣であった菅原道真が、「大宰権帥(だざいのごんのそち)」として筑紫(つくし)(福岡県)へ左遷される折、都に残してきた妻を思いやって詠んだ歌。「はや」の「は」は係助詞、「や」は間投助詞で、強い詠嘆を表す。出典:weblio
菅原道真といえば学問の神様
息子に座らせ、さらに石をなでた手で息子の頭をなでました。
離宮八幡宮の御祭神とご利益
| 離宮八幡宮のご祭神 | |
| 本殿 | 応神天皇(おおじんてんのう) |
| 左殿 | 酒解大神(さかとけのおおかみ) 別称大山祇神(おおやまつみしん) |
| 右殿 | 比売三神(ひめさんしん) |
離宮八幡宮のご利益は
油業発展、厄災除け、勝運・必勝祈願
があるそうです。
最後に:激動の歴史を乗りこえた離宮八幡宮
調べないと絶対に知ることがなかった離宮八幡宮の一面。
元々、離宮八幡宮が石清水八幡宮だったという事実。苦難はこれだけではありません。
歴史をひもとくと
幕末のころ、戦で建物の大半が焼失。
さらにその後
東海道本線(現JR)の京都神戸間開通により社地の大半がその用地と化したため、神領の規模が大幅に縮小
と、悲しい歴史ばかり······。
そんな荒波をも乗りこえ、いまこうして私たちを温かく迎えてくれます。
何だか離宮八幡宮が愛らしくなってきました(*^^*)
今度やって来るときは、もっとじっくり散策してみたいですね!
| 離宮八幡宮の詳細 |
| 【住所】京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21−1 【電話番号】075-956-0218 【アクセス】 最寄駅:阪急京都線 大山崎駅下車、徒歩3分 最寄駅:JR京都線 山崎駅下車、徒歩1分 【定休日】無休 【営業時間】7:30~20:00 【駐車場】なし(境内にあるが月極のみ) 【入場料】無料 【HP】離宮八幡宮 |
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