晴明神社といえば、安倍晴明を祀る神社として、毎日多くのファンが訪れています。
皆さんご存じのとおり安倍晴明は、占いで人を助け、術で悪鬼を調伏し、式神を使役して身の回りの世話をさせていた大陰陽師。
「そんな凄い人が祀られているくらいだから、この神社には何かあるかも?」
と、思うかもしれませんね。
この記事では
・晴明神社への行き方と所要時間
・【晴明神社】不思議な力をもつ安倍晴明ゆかりの地をめぐる!見ておきたいところ11選
・晴明神社を建てた理由:京都を「闇」から守り続けるためか?
・晴明神社の御朱印の初穂料(料金)
を書いています。
もし近々、晴明神社に行くかもしれないという人はぜひ参考にしていただければと思います!
晴明神社への行き方と所要時間
京都駅から晴明神社へのアクセスは、大きく分けて3つあります。
■バス
乗り場: 京都駅前バスターミナル B1乗り場
系統: 9番系統(西賀茂車庫行き)
下車駅: 「一条戻橋・晴明神社前」
所要時間: 約25〜30分(渋滞による)
ポイント: バスを降りたら目の前が神社です。京都の街並みを眺めながら移動できるため、気持ちを高めるのに最適です。
■地下鉄
ルート: 地下鉄烏丸線「国際会館行き」に乗車 → 「今出川駅」下車
所要時間: 乗車10分 + 徒歩約12分
ポイント: 渋滞の心配がありません。今出川通を西に歩き、堀川通を北へ上がります。途中の「京都御苑」の外壁を眺めながら歩くのも風情があります。
■タクシー
所要時間: 約15〜20分
料金: 2,000円〜2,500円程度
ポイント: 運転手さんに「堀川今出川(ほりかわいまでがわ)を少し上がった晴明神社まで」と伝えれば確実です。
【晴明神社を見学する所要時間】
晴明神社の境内は広くないため
約15分~20分
ほどで見学することができます。
(※桔梗庵(グッズ売場)の時間は含まれていません)
| ■京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル ■参拝料:無料 ■定休日:無休 ■営業時間:午前9:00〜午後5:00(無休、授与所は午後4:30まで) ■駐車場∶南隣に駐車場(コインパーキング)あり。筆者もそちらに停めました ■電話番号∶075-441-6460 (午前9:00~午後5:00) ■ホームページ:晴明神社公式HP |
【晴明神社】不思議な力をもつ安倍晴明ゆかりの地をめぐる!見ておきたいところ11選
個人的に、ここだけは見ておきたいと思ったところを11選あげてみました!
一の鳥居に五芒星の扁額
堀川通に面する一の鳥居。
よく見ると扁額のところが神社名ではなく、星形のマークが描かれています。
この星形のマークは五芒星もしくは晴明桔梗と呼ばれているもので、社紋でもあります。
映画などで、晴明がこの五芒星を魔除けの呪符として使っているシーンをたびたび見かけたりしませんか?
五芒星は五行説を可視化した究極の図形で、陰陽道の根本には、万物は【木・火・土・金・水】の5つの元素から成るという五行説があります。
バラバラになりがちなエネルギーをひとつの円の中に閉じ込め、安定させる「封印」の力を意味しています。
つまり、一の鳥居は悪いもの(邪気)から晴明神社を守るため、いわゆる結界の役割を果たしています。
ちなみに、交通安全としてこのマークのステッカーが貼られた自家用車を、京都ではよく見掛けます。
旧・一条戻橋
一の鳥居をくぐるとすぐの左側に小さな橋が見えます。
これは旧・一条戻橋と呼ばれるものです。
この名前を聞くだけで、京都の歴史に詳しい方なら、きっと背筋がゾクッとするかもしれませんね。
晴明神社のすぐ近く、堀川に架かる一条戻橋は、京都の中でも屈指の【異界との境界線】として知られています。
(※一条戻橋は平安時代頃から存在しておりますが、新・旧の一条戻橋は近代の物です)
そんな一条戻橋なのですが、実はこのような逸話があります。
【その1】
延喜18年(918年)、文章博士(もんじょうはかせ)として知られた三善清行(みよし きよゆき)が亡くなりました。その葬列がこの橋を渡ろうとしたとき、紀州(和歌山県)で修行をしていた息子の浄蔵(じょうぞう)が駆けつけます。
父の死に目に間に合わなかった浄蔵が、橋の上で一心不乱に加持祈祷を行ったところ、なんと清行が数分間だけ息を吹き返し、父子で最後の言葉を交わしたというのです。
「死者が戻ってきた場所」。この出来事以来、この橋は「戻橋」と呼ばれるようになりました
【その2】
晴明神社を語る上で欠かせないのが、晴明公が操ったとされる式神(しきがみ)です。
伝説によると、晴明公の奥様は式神の恐ろしい姿を怖がったため、晴明公は式神たちを一条戻橋の下に住まわせていたと言われています。
ちなみに橋の横に立つ小鬼のような者が式神です。
【その3】
もう一つ、武勇伝として有名なのが「渡辺綱(わたなべのつな)」のエピソードです。
ある夜、綱が一条戻橋を渡ろうとすると、美しい女性に「夜道が怖いので送ってほしい」と声をかけられました。しかし、その正体は愛宕山の鬼(茨木童子)。
鬼が正体を現し、綱を掴んで空へ飛び上がろうとした瞬間、綱は名刀「髭切」を抜き放ち、鬼の腕を切り落として難を逃れたと言い伝えられています。
【その4】
この【戻る】という強い言霊は、現代の京都でも大切に(あるいは恐れられて)引き継がれています。
婚礼の行列は渡らない: 「嫁が実家に戻ってきてしまう(離婚)」ことを忌み嫌い、今でも婚礼の車は絶対にこの橋を渡らないのが暗黙のルールです。
お葬式の列も避ける: 「死者が戻ってきて成仏できない」ことを防ぐため、葬儀の際も避けて通ります。
戦時中の願い: 逆に戦時中は、出征する兵士たちが「無事に戻ってこられるように」と、こぞってこの橋を渡ってから戦地へ向かったという、切なくも温かい歴史もあります。
このように、一条戻橋ひとつとっても深い歴史があり物語があります。異世界や魔界といった分野が好きな私としては、これを見るだけでも物凄い価値がありました!
ところで、現代の一条戻橋の場所はこちらです。
晴明神社から近いです(歩いて5分ほど)ので、時間に余裕のある方はぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。
桔梗庵
旧・一条戻橋の隣にあるお土産屋さん。
安倍晴明に関連したグッズやお土産などが売られています。晴明神社公認のお店なのでファンならぜひお立ち寄りを!
千利休居士聚楽屋敷の石碑
二の鳥居の脇にこのような石碑があります。
けっこう見落としがちな石碑ですが、歴史好きな人にとってはかなり貴重な物かと思います。
豊臣秀吉の時代、秀吉が建てた聚楽第(じゅらくてい)の近くに、千利休の敷地があったそうです。
もともと安倍晴明の屋敷跡地に晴明神社を建てたわけですが、その後時代を越えてこの場所に千利休の屋敷を建てたということに、どこか因縁めいたものを感じますよね。
四神門
晴明神社の二の鳥居のすぐ側(向こう側)に四神門という四神を表した石柱と、五芒星の意匠を施した黒門があります。
この黒門は参拝時間内は扉は開かれておりますが、時間外だと閉まっています。
公式によると、晴明が住まわれていたとき、朝廷からの使者などが訪れると、自動的に扉が開き、出ていかれた時には自動的に扉が閉まったという言い伝えがあるそうです(この扉は当時のものではありません)。
※二の鳥居に向かう途中、一般道が横切っているため渡るときには注意して渡るようにしてください。
晴明井(せいめいい)
晴明公の念力によって湧き出でたという井戸です。
取水口はその年の恵方を向いており、そこから流れる水は邪気を祓う霊水とされています。
こんこんと湧きだす霊水は、諸病平癒のご利益があるようです。ですが、看板にも書いているとおり、飲用には適していないようなので注意が必要です。
五芒星に型どられた晴明井は、一ヶ所だけ流水口があり、その年の恵方を表しています。立春において、その方角を変えているようです。
厄除桃
陰陽道において、桃は古来より魔を退ける果実とされています。
古事記などの古い書物で、桃を使って魔物を追い払う様子や、桃太郎が鬼退治する物語があります。
現代においても、桃に模した屋根瓦を置くお家を見掛けることがありますが、それらも魔物(鬼)よけという意味合いになります。
晴明神社の厄除桃は、自分の体の悪い部分や、心が痛む部分を意識しながら、桃の像を優しく撫でることで、代わりに桃が厄を引き受けてくれるとか。
樹齢300年ほどの楠
晴明神社本殿横にある楠。樹齢がおよそ300年といわれる御神木です。
看板には【両手を当てて大樹の力を感じ取ってください】とあるように、人によっては、両手をかざすだけでもパワーを感じる人がおられるようです。
九字切り(くじきり)の石
晴明神社の境内、楠のそばにある九字きりの石(地面)です。
一見すると将棋板や囲碁板にも見えますが、実はそうではありません。
映画や漫画で見たことありませんか? 指を剣のように立てて空中に格子を描くシーンを。
あれは単なる演出ではなく、古来より伝わる強力な自己防衛術であり、空間の浄化術です。
九字切りは、【臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前】の九つの漢字を唱えながら、指で印を結んだり、空中に「五芒四縦(ごぼうしじゅう)」の格子を描いたりする秘術です。
もともとは中国の道教に由来し、それが日本に伝わって陰陽道や修験道(山伏)、密教と結びつき、日本独自の進化を遂げたようです。
陰陽師にとって、これは悪霊を倒す呪術というよりは、自分と世界の境界線をはっきりさせ、混沌を整えるための術式のようなもの。
なぜ九字切りの石がこちらに置いてあるのかは分かりませんが、おそらく雰囲気を出すためのオブジェではないかと思います。
晴明神社拝殿・本殿

安倍晴明をお祀りしている拝殿と本殿です。
(写真は拝殿です)
晴明神社を創建したのは、時の天皇である一条天皇(いちじょうてんのう)です。
平安時代の寛弘4年(1007年)、安倍晴明公が亡くなってから2年後、その偉大な功績を惜しんだ一条天皇が、晴明公の屋敷跡に社殿を造営するよう命じました。
なぜ、一臣下にすぎない(といっても位は高かったですが)晴明公のために、天皇自らが神社を建てさせたのか。そこには、当時の切実な事情と、晴明公に対する絶大な信頼があったからではないでしょうか。
建物や提灯、瓦など、いたるところに五芒星のマークが入っています。
こういう細かな所にも目をやることで、新しい発見があるかもしれませんね!
晴明をたたえる顕彰板
平安時代、多くの活躍をみせた安倍晴明。
その中で、語り継がれる代表的な出来事を顕彰板として掲げられています。
顕彰板は全部で10の物語ありますので、安倍晴明の活躍をもっと知りたい人は要チェックです!
晴明神社を建てた理由:京都を「闇」から守り続けるためか?
一条天皇が神社を建てさせた本当の理由として、私が考える理由は2つあります。
① 晴明公の「神格化」と報恩
安倍晴明公は存命中、一条天皇の側近として、天皇自身の病気平癒や、皇族にかけられた呪いの解除、さらには国家を揺るがす異常気象の調伏など、数々の奇跡を起こしました。
天皇にとって晴明公は、単なる占い師ではなく国家を破滅から救い続けてくれた救世主。その恩に報い、彼を神として祀ることで、死後も変わらず国を守ってもらおうと考えたのかもしれません。
② 平安京の【魔界封じ】
当時の京都は、怨霊や疫病の恐怖が渦巻く闇の都市でもありました。晴明公がいなくなった後の京都に、再び「魔」が侵入してくるのを一条天皇は非常に恐れたわけです。
晴明公の屋敷があった場所は、平安京の内裏から見て北東の位置にありました。
北東、つまり表鬼門から流れてくる邪気を食い止めるため、そこに永続的な結界を張るため晴明を祀る神社を建て、平安京の安寧を維持しようとしたのではないかと思います。
晴明神社の御朱印の初穂料(料金)

晴明神社の御朱印です。
初穂料は500円。由緒書き(パンフレット)も一緒にいただけます。
終わりに

人間と白狐の間に生まれたとされる安倍晴明。
母親は大阪府の信太森神社(葛の葉稲荷)に住む白狐ともいわれ、謎の多い人物です。
もし、その白狐が人智を越えた存在であるならば、子供である晴明が、なんらかしらの神通力を持ち、卓越した大陰陽師であったとしても不思議ではありません。
もしくは、晴明があまりにも凄すぎて、噂に尾ひれがつき脚色されたのかもしれません。
事実は分かりません。
一条天皇が、晴明の死後においても国の安寧を願い建てた晴明神社は、人々の心の中に安倍晴明が生きつづける限り、彼等が施した結界は機能しつづけ、いつまでも私たちを守ってくれるのではないか?
数多の奇跡を起こしたきた晴明なら、きっとありうる話かもしれませんね。
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