京都屈指の観光名所、北野天満宮。
その華やかな参道のすぐ脇に、東向観音寺というお寺がひっそりと建っています。
多くの参拝者が、その存在に気づかずに通り過ぎてしまうであろう小さな古刹。
しかし、そこにあるのは伝説の怪物「土蜘蛛」に関係するある物が祀られているという⋯。
今回は【知っている京都】のすぐ隣に潜む、知られざる異界への入り口東向観音寺をご紹介します。
場所は、京阪出町柳駅からバスでおよそ20分ほどの場所。北野天満宮のお隣です。
東向観音寺への行き方と詳細
東向観音寺は、京都市上京区に位置し、北野天満宮の境内と隣接しています。
| 東向観音寺の詳細情報 | |
|---|---|
| 住所 | 京都府京都市上京区観音寺門前町863 |
| 宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
| 拝観料 | 境内自由(無料) |
| 定休日 | なし |
| 拝観時間 | 9:00〜16:30 |
| 電話番号 | 075-461-1527 |
| 駐車場 | なし(近隣のコインパーキングまたは北野天満宮駐車場を利用) |
| ホームページ | 東向観音寺 公式ホームページ |
公共交通機関でのアクセス
京都観光の基本はバスですが、東向観音寺へは以下のルートが便利です。
- 京都市バスを利用する場合:
京都駅から京都市バス50系統「北野天満宮前」バス停で下車します。バス停からは徒歩約3分です。 - 京福電車(嵐電)を利用する場合:
「北野白梅町駅」から今出川通を東へ歩いて約5分〜7分ほどで到着します。嵐山方面からのアクセスに非常に優れています。 - 京阪電車を利用する場合∶京阪出町柳駅から京都市バス(出町柳駅前 203系統)に乗り「北野天満宮前」で下車します。バス停からは徒歩約3分です。
東向観音寺の場所(入口)

北野天満宮の大きな一の鳥居をくぐり、参道を真っ直ぐ歩いていくと二の鳥居が見えてきます。
そこから左手(西側)、奥の方を見ると、古い門が見えます。それが東向観音寺の入り口です。
拝観料は基本的に無料でしす。
(※行事等の際は変動の可能性があります)
東向観音寺の所要時間
コンパクトな境内なので、5分〜10分ほどで見学が出来ます。
短時間で見終えることが出来ますので、ぜひ北野天満宮とセットで見学したいところです。
東向観音寺のポイントと見所
東向観音寺の押さえておきたいポイントと見所を紹介します。
東向観音寺の歴史
寺伝によると延暦二十五年(八〇六年)、桓武天皇勅願にて建立された朝日寺を前身とする。
天暦元年(九四七年)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後、応和元年(九六一年)に、筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観音を請来し安置した。
応長元年(一三一一年)、無人如導宗師が十一面観音を本尊として観世音寺とした。
古来より天満宮御本地仏、北野神宮寺又は北野奥之院と称し、本堂が東方を向くことから東向観音とも称される。
本尊は秘仏で二十五年に一度の菅公御年祭の時にご開帳される。
真言宗泉涌寺派に属し、洛陽三十三所観音霊場第三十一番札所となっている。
他に高王白衣観音、岩雲辯財天、伴氏廟(石造五輪塔の菅公母君御廟)、土蜘蛛塚を祀る。
幕末の争乱時には、後の昭憲皇太后(明治天皇皇后)が当寺に一時避難されていた。
寺宝には、崇光天皇宸翰、天平時代の写経である。諸法無行経巻下(五月一日経)などを蔵している。
引用先ー観音寺(東向観音)説明板
東向観音寺のご本尊【十一面観音菩薩】

東向観音寺の門には沢山の提灯が掛けられており、それぞれ仏様の名前などが書かれております。
左から
岩雲弁財天
十一面観音菩薩
天満宮御本地佛
白衣観世音
と書かれています。
軽く説明すると
岩雲弁財天は、ここ東向観音寺の鎮守神とされており、1607年に豊臣秀頼が本堂を再建した時に奉納された弁財天だといわれております。
商売繁盛・財運招福・交通安全などのご利益があるとされ、毎年12月1日の柴燈大護摩供の際に御開帳されます。
十一面観音菩薩は東向観音寺のご本尊様になります(あとで詳しく説明します)。
天満宮御本地佛とは東向観音寺の別称です。
白衣観世音については後述します。

門をくぐると正面が本堂になっており、赤い大きな提灯には十一面観音菩薩の文字が書かれております。
本堂に祀られているのは、道真公自らが刻んだとされる「十一面観世音菩薩像」です。道真公は「観音様の生まれ変わり」と信じられていた時期もあり、学問の神様としての側面だけでなく、救済の仏様としての信仰もこの地で深く根付いてきました。
十一面観世音菩薩は秘仏とされており、25年に一度の御年祭の年にのみ御開帳されます。前回の御開帳は2002年(平成14年)の1100年大祭でした。次回の御開帳は2027年を予定しており、またとない機会です。
なお、現在の本堂は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が北野天満宮の復興にあわせて再建したもので、入母屋造・本瓦葺の本堂と礼堂を連結させた珍しい構造となっており、京都市指定有形文化財に指定されています。
高王白衣観世音菩薩
境内には白衣観音堂があり、そこに祀られているのが高王白衣観世音菩薩です。
明暦元年(1655年)に中国・明の陳元贇(ちんげんひん)禅師より寄進されたもので、通常の白衣観音像とは異なり子供を抱いた大変珍しい姿をされています。
世継ぎ・子授けや安産の信仰を集めており、子授け祈願では世継ぎ人形が授けられる風習があります。
伴氏廟(菅原道真の母君の御廟とも)

境内の奥へ進むと、高さ4メートルを超える大きな五輪塔が鎮座しています。
これは道真公の母君、伴氏の墓(伴氏廟)と伝えられているものです。
鎌倉時代の作で、もとは北野天満宮の境内にありましたが、明治時代の廃仏毀釈によってこの東向観音寺に移されました。
この五輪塔は「忌明塔(いみあけとう)」としても知られています。四十九日の服喪が明けた五十日目にこの塔に参詣して身を清めるという風習があったそうです。
東向観音寺と土蜘蛛伝説

東向観音寺を語る上で絶対に外せないのが、歴史ファンや妖怪好きを惹きつけてやまない「土蜘蛛伝説」です。
土蜘蛛とは何か?
平安時代、京の都には「土蜘蛛」と呼ばれる恐ろしい怪物が棲んでいたと言い伝えられています。
伝説によると、源頼光という武将が原因不明の病(瘧=マラリアとも)に伏せっていた際、怪しげな僧が現れ、蜘蛛の糸を放って頼光を絡め取ろうとしました。
頼光が家宝の刀(膝丸)で斬りつけると、僧は逃げ去り、翌日、頼光が四天王を率いて血痕を追うと北野神社裏手の塚に辿り着き、そこには巨大な山蜘蛛がいました。
これを討ち取った後、頼光の病はたちまち回復したといいます。この伝説は後に能「土蜘蛛」としても広く知られるようになりました。
境内に佇む「土蜘蛛の火袋」の怪

東向観音寺の境内には、この土蜘蛛が潜んでいたとされる「土蜘蛛塚」から掘り出された遺物を収めた小さな祠があります。祠の中に収められているのは石燈籠の「火袋(ひぶくろ)」部分の石で、「土蜘蛛灯籠」とも呼ばれています。
この火袋、実はかつて京都の七本松通一条付近(清和院前)にあった土蜘蛛塚から発掘されたものです。
明治時代の地域開発で塚が取り壊された際に出土し、ある人が持ち帰って庭に飾ったところ、その家の家運が衰退。
さらにその石をもらい受けた人の家も同様に傾いたという「祟りの伝説」があります。
「これは土蜘蛛の祟りに違いない」と恐れられ、最終的にこの東向観音寺に奉納され、供養されることになりました。
この蜘蛛灯籠は、もと七本松通一条にあって、源頼光を悩ました土蜘蛛が棲んでいたところといわれた。
明治年間に、この塚を発掘したところ、石仏や墓標の破片したものが出土し何等参考となるものはなかった。
そのときの遺物が、ここにある「火袋」で、当寺、ある人が貰いうけ庭に飾っていたところ家運が傾むき”土蜘蛛の祟り”といわれたので、東向観音寺に奉納したという。
なお「土蜘蛛」とは我が国の先住穴居民族で背が低く、まるで土蜘蛛のようだったといわれる。
― 境内・謡曲史跡保存会 高札より
祠の不思議な存在感

実際に見に行ってみると、小さな石が静かに祠の中に収まっています。
伴氏廟のすぐ脇という場所柄もあり、静寂の中にただならぬ気配が漂います。
現在では、お寺の慈悲深い空気によってその「気」は静められていますが、じっと見つめていると、平安時代の闇に蠢いていた怪物の息遣いが聞こえてくるような、不思議な感覚に陥ります。
終わりに
北野天満宮という壮大な聖域のすぐ隣で、静かに時を刻み続ける東向観音寺。
ここには、きらびやかな観光地としての京都ではなく、人々の深い信仰心と、古くから伝わる異界の物語が混ざり合った「本物の京都」が残っています。
東向観音寺は、決して大きなお寺ではありません。しかし、そこには千年の歴史を凝縮したような物語が詰まっています。
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